ジャズピアニスト秋吉敏子さん【娘との溝を埋めたものとは??】


84歳 現役ジャズピアニスト・作編曲家の秋吉敏子氏。

秋吉敏子

彼女の世界的な活躍は、言わずと知られていますが、

26歳で単身渡米し、
日本人女性として、ミュージシャンとして、母として、
アメリカで生き抜き、多大な功績を残すまでには、
並ならぬ努力と苦労の日々があったのだそう。。。

 

秋吉敏子氏は1953年に来日したジャズピアニストの
オスカー・ピーターソンに才能を見出され、
1956年に日本人として初めて
バークリー音楽院に奨学生として渡米。


1973年に自身がリーダーを務めるビッグバンドを立ち上げると、

ジャズと日本古来の和楽を融合した新しいサウンドが高く評価され、以後様々な賞を受賞。

華々しい受賞歴・活動歴の裏で彼女が諦めてきたもの・・・

 

 

それは、
秋吉氏の「一人娘・Monday満ちるさんとの時間」
だったと言います・・・

家計を養うため、仕事を優先させる事を選んだ秋吉氏は、
Monday氏を1年、日本の病院に預けた後、
米国へ連れて帰るものの、

3歳になると、今度は大分・別府の姉の元へ3年ほど預けた。

再婚後、ようやく娘を引き取り厳しく教育したのだとか。。。

 

秋吉氏は自伝の中で

「母がスパルタ教育だったので、社会に出て一人で生活できたが、
その影響で素直に愛情を示すことができず娘に(自分の母と)同様に接した」

 

「規則を作り厳しく守らせた。厳しくするばかりで肩を抱いてやることはなかった」

「私は母としては完全に失格者だと思う」

「一番大切なのは人間同士の愛情と後で知った」

(「ジャズと生きる」岩波新書)

 

 

この告白から20年の時を経て
母娘共演アルバム「ジャズ・カンヴァセイションズ(会話)」(ビクター)が誕生したのです。

秋吉敏子 Monday満ちる

 

「ジャズはママの言語、私はジャズ・シンガーでは無い」

と語るMonday氏だが、
そのママの言語(ジャズ)を子供のころから聴き理解していたため、
二人を結びつける共通感性の言語はジャズだったのです。

 

 

秋吉敏子氏の代表作「ロング・イエロー・ロード」に
Monday満ちる氏が歌詞を書くなど、
二人の絆をジャズという言語の会話によって表現した
愛情に満ちた話題作「ジャズ・カンヴァセイションズ(会話)」
気になる方は是非チェックしてみて下さい^^

 

親と子だからこそ
言葉無しでも分かり合えることもあるかと思います。

ですが、

音楽があったからこそ、普段口に出来ない想いや傷を癒し、
二人の絆をより強められる事ってあるのだと思いました。

 

 

「娘との間に出来てしまった溝を埋めてくれたのは音楽だった」

とても印象に残った言葉でした。